過剰通報・過剰逮捕は人権蹂躙

現我が国は、外国に近ずく犯罪国になっているのは確かだ。それには、
映像にインターネットなどの媒体が強い影響であり、
日本に来る外国人の影響が少なからず犯罪の要因でもあるようだ。

それに伴って悪い副産物といえるのが、過剰通報過剰逮捕である。
新たな社会問題であるだろう。
それは、赦し合う気持ちを失った他人事精神である。

'14/10/11の新聞に、少女のスカート内をのぞいた公務員の男が逮捕されたのだ。過ちはそのとき一度の目撃である。これを読み愕然とした。逮捕された男が不憫だと思った。通りがかりである通報女性にも強い不信感を覚えた。人の人生を考慮し、些細な過ちを許す気持ちは持てなかったか。この事件に限らず、些細な迷惑までもが、通報される始末。

悪いことには違いないが、必ずしも逮捕されるまでのことではないはずだ。
重罪事件が起きれば、たったの一例であってもマスメディアの全国区な影響でいつものように人は神経過敏になる。
何も悪くない人が少数犯罪者のために、周りの私たちに過剰な通報や逮捕の被害者となっている事実。

人は例外なく弱く罪人なのだから、過剰に監視カメラや過剰な疑いで目を向けるのはあまりに行く過ぎた人間不信社会だ。
犯罪は今後も必ず繰り返すが、それだからといって無関係な人様までが、通報という心ない冷静さに欠く人のとばっちりは迷惑な話である。

昔と時代は違うというが、昔だからこそ今にも貢献できる対策もあるはずだ。
たとえば、風呂場のぞきは学生に限らず男ならほぼ一度くらいは行ったはずだ(但し、今の時代では難しい)。この程度であれば昔はまず、通報され捕まった話はまず聞いたことがない。こんなことで逮捕されては、監獄が満杯になり、よけいな税金が使われるのである。この場合、注意喚起のみで赦されるべきだろう。
ちなみに、性的事例を挙げたが、それ以外でも言えること。

実害のない罪は逮捕しないことが大切であろう。このような迷惑は大目に見るべきであって、通報した人間も、自分には一切の罪がないといえるだろうか。少しEQ的なものがほしい。過剰通報・過剰逮捕は今後、我が国で、誰もが一度は見舞われる日も間違いなく来ると思う。そうすると逆効果が発生する。

万人が免役化し開き直り、逮捕歴当然になるため、容易に犯罪に手を出してしまうだろう。
逮捕は人間として当たり前なのだから。結局、犯罪防止とは何かという疑問が生まれる。これを防ぐには、よほど(実害)の犯罪でない限り逮捕しないのが一番だ。すると、滅多にない逮捕が、恐怖に感じ、自制する気持ちが生まれるものなのだ。

前例では見逃しか和解が一番だが、むしろ、過剰逮捕犠牲者のために、皆さんが署名活動、デモや、警察並びに、過剰通報者を告訴した方が良いくらいで、それは今後皆さんのためになるのだから。

息の詰まる狭苦しい世の中になったことは強い嘆きだ。
 
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余談>言論の自由として
 
 弁護士への疑問ですが、弁護する相手を当然調査しており、いかにも犯人ということは当然わかりようですが、なのに真犯人の弁護を引き受けるケースは多いとききます(世間では公表しません)。暗黙の了解で当然のようにそれがまかり通っているのです。異常事態といえますね。一応一部の弁護士と言っておきましょう。
アメリカでもスポーツ選手の有名な事件がありますが、敢えて言いません。
 
 弁護士が依頼者を犯人だとは思えないという虚偽設定で通しているだけです。しかし、はっきり言ってそれは共謀罪ですから!共謀者も逮捕されてしかるべきでしょう。
犯人と調査で知った時点で、弁護は断るべき。当然のようですが、えん罪の可能性がある人が弁護をされる権利があるのです。商売云々の問題じゃなく、世の中の正義として、確定犯罪者は擁護してはならないんです。あくまでも、逮捕して償わせるべきです。
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余談>これは言いたい不公平裁判!

 ニュースとかでよくある例に、長年にわたって自分を虐めていた相手をついには殺してしまったなどですが、そこでおかしなことが繰り返されるのです。

虐められた殺人者は、逮捕され裁きを当然受けるが、虐めたが殺されてしまった相手は何も裁かれないという不本意。これは絶対に変でしょう。

 殺人といえど、殺人者にまでさせるにいたった虐めという悪意。決して虐められた人間は殺人鬼ではなかったのに、哀れな殺人者という犠牲者にまで追い詰められ、苦しみ悶えたろう犯人。その諸悪の根源でもあった虐めの人間を裁かなければいけないはず。殺人犯も家族に償い、そして、虐め加害者の親御が、虐め被害の被害者(殺人犯)にも必ず償うべきです。
 
 しかし、現実は、殺人者だけが ”悪” で完了すること。
ある本に、“殺人以上の行為(悪意)がある”『幸福に別れを告げよ (1977年) | 加藤 諦三』と言葉がありますが、それを思い出されますしその通りだと思います。現法を以上に改変するべきでしょう。
 
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死刑について>


 死刑反対派が多く、死刑は憲法第36条に逆行するのは間違い有りません。日本では今後も死刑は減退し期待できないと思います。
そこで、切断刑を取り入れるべきです。


 死刑では難点もあり甘いともいえます。死刑では改心の気持ちさえ奪ってしまいますが、切断刑は生涯、罪の重さと後悔を植え付けることのできる唯一の刑です。死刑廃止論にも応える刑だと思います。


聖書では、

『 もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である 』

この言葉を手本にしました。その通りだと感じます。世界のベストセラーであるように、真理を見つけることができると思います。死刑では甘いのでしょう、犯罪を犯す“そのもの”を切り落とすべきです。切断刑こそが強力な犯罪抑止効果だと思います。そして、重罪者が受けるべき償いだと思うのです。