最初のコンピューターは誰が発明したか

近まで、コンピューターの発明は1945年ENIAC(Electronics Numerical Integrator Computer)の、J.P.エッカートとJ.W.モークリーが長い歴史の間、最初のコンピュータ発明だと言われてきましたが、1973年10月19日、ミネアポリス地方裁判所のラーソン判事が、ENIAC特許は無効と判決を下しました。



企業間の争いがきっかけとなった裁判の過程で、ABCの発明が明らかになったことは“真実はいつの日か明らかになる”という因果かもしれません。

ENIAC>17,468本の真空管と重量27t、所用面積167平方m,消費電力150kWという大規模なマシンでしたがプログラム内蔵式ではありません。この時点でABCを含め、機能は今で云います【calculator】電卓に相当。


 (現在のノンプログラムである電卓(Calculator)はハードはコンピューターと同等ですがソフトを利用しない計算機械との区別でCalculator)

 

 ENIAC登場以前、ENIAC開発に多大な直接的影響、基本設計を与えたのが、

ジョン・V・アタナソフ博士(1903~1995)と当時の大学院生クリフォード・ベリー助手が手がけていたコンピューターです。この計算機は、両者の名を取ってABCAtanasoff and Berry Computer)と名付けられました。


 この計算機械の開発は1939年で、この年アタナソフ氏は、2進法を用いる演算を既におこなっていました。

これは現在のコンピューター共通の原理


 ABCは試作機であり実用化はしていませんが、その基本設計は後の電子式計算機械・情報技術に多大な貢献をもたらすこととなるのです。


 そのABCの試作機を元に実用化したのがENIACであり、初の実用化コンピューターですが、あくまで、ABCを元に実用化に漕ぎ着けたにすぎなかったのです。


 もしABCが実用化でなかったにしても特許また、世に公表さえされていれば、世界初の電子式コンピューターがABCと歴史に刻まれていたのには違いありません。


 ゆえ、ABCのディジタル・コンピューター発明事実 (解体前の実物計算機械の写真と一部部品、設計図、明細書類等 が存在)など先取点についてもいくつかの事実認定がなされるなど裁判で緻密な審議後証明されました。


 ENIAC裁判によって、ENIAC神話(最初の電子式計算機発明)は崩壊しました。

 エッカート氏に悪意はなかったにしても、ENIAC制作者の一人であるモークリー氏が、ENIAC開発以前にアタナソフ氏と対面し、ABCの存在を確認していた事実にも関わらず、裁判までABCの基本設計を黙止したことで、アタナソフ氏の発明を盗作した印象はぬぐい去れないでしょう。この裁判により、コンピューターの歴史は遅ればせながら書き換えられることになりました。


1995年6月3日にENIACの制作者プレスパー・エッカート氏が亡くなりました。そして、くしくも同年月15日、アタナソフ氏が死去しました。

 初のコンピュータの発明の原動力でありきっかけが、弾道計算(ENIAC)という、軍事目的から生まれたという説を最近まで信じられていましたが、状況は一変し、軍事とは無関係の連立線形方程式を解法する計算機械(ABC)という平和的な発明だったのです。このABCのサイズは、高さこそ少しありますが縦横がオフィステーブルとほぼ同じサイズでした。

 

事なことは、コンピュータという文明の利器の究極の証ともいえる機械をアタナソフとベリーだけが作ったということではありません。
それを作り上げる材料をそろえた歴史上の人物たちを忘れてはなりません。


現代発見されている、

『紀元前2世紀 - アンティキティラ島の機械(天体運行の計算であり、世界最古の科学計算機) 』、


チャールズ・バベッジ(プログラム可能な計算機)』、


『フレミング真空管の原型を発明』、


アラン・チューリング(コンピュータの原型を始めて世に送り出す)』、


『コンラート・ツーゼ(機械式の計算機V1)』


など、過去コンピューターの基盤となるシステム材料の発明の恩恵よってABCが生まれたのです。
コンピューターとはたった一人の力ではなく、過去から現在まで人間たちの結晶の産物であることです。それが世界初の電子計算機ABCであり現在のスーパーコンピューターへと繋がったのです。

 

試履(着)き専用ストックは商機の可能性

疑問に思った人はいるのでは?

高い靴を買う場合


 安物の靴に関しては問題ないと思いますが、5,000円以上もする靴を買う場合、
人が試着したものの販売は他人の汗や臭いが付着してる心配があるものです。

 なにより、履き皺(シワ)がつくのです。
 これは既にアウトレット品だと感じます。みなさんもきっと腑に落ちなかったと思いますし、そんな物を買うのが損だと思われませんか?




改善方法
 
売店がそれぞれの靴のサイズを試履き用で揃える。

すると、試履き皺のついた靴を買うことはなくなります。
考えれば新品の封を開けてはいけないことが原則と考えれば、良い品物の常識だと
思います。

また、ストックは雑に保管できるため、
わざわざ新品商品の箱と包みをめくる また仕舞う手間も省けます。


洋服でも高級な場合、試着によってはシワもできますが、人の汗においが付着
することだってあります。同じく試着専用ストックにするべきだと思います。

在庫抱えの問題ですが、試(履き)着専用だからその各サイズ一つだけストックするだけでよいんです。
その試着専用ストックは、後に店がアウトレット商品として売ることができ
在庫を抱えることはないのです。

靴にとどまらず、客商売を発展向上する上で是非上記アイデアを取り入れて欲しいのです。

※余談>


 ちなみに、試履き皺のつく箇所は、バンプ(甲)です。ここに皺がある場合、
間違いなく試履きしたことになります。

 たとえば、「天然皮革品のため多少、皺がある場合もございます」とは、バンプに関しては違うと思いましょう。製造で甲への皺はつかないはずです。

 細かいですが、レース(紐)が全て(途中もあり)結ばれてる物は、撮影のためや、試履きのためです。
新品はまず、出荷の都合上、下鳩目だけしか通していないものです(傷、皺がなければ気にすることでもないですが)。

過剰通報・過剰逮捕は人権蹂躙

現我が国は、外国に近ずく犯罪国になっているのは確かだ。それには、
映像にインターネットなどの媒体が強い影響であり、
日本に来る外国人の影響が少なからず犯罪の要因でもあるようだ。

それに伴って悪い副産物といえるのが、過剰通報過剰逮捕である。
新たな社会問題であるだろう。
それは、赦し合う気持ちを失った他人事精神である。

'14/10/11の新聞に、少女のスカート内をのぞいた公務員の男が逮捕されたのだ。過ちはそのとき一度の目撃である。これを読み愕然とした。逮捕された男が不憫だと思った。通りがかりである通報女性にも強い不信感を覚えた。人の人生を考慮し、些細な過ちを許す気持ちは持てなかったか。この事件に限らず、些細な迷惑までもが、通報される始末。

悪いことには違いないが、必ずしも逮捕されるまでのことではないはずだ。
重罪事件が起きれば、たったの一例であってもマスメディアの全国区な影響でいつものように人は神経過敏になる。
何も悪くない人が少数犯罪者のために、周りの私たちに過剰な通報や逮捕の被害者となっている事実。

実際には、気に入らない人間を困らせるために匿名通報する嫌がらせが横行しているようだ。匿名通報がなくなったとしても個人情報保護、守秘義務で守られてる。通報ルールを改正した方がいいだろう。

人は例外なく弱く罪人なのだから、過剰に監視カメラや過剰な疑いで目を向けるのはあまりに行く過ぎた人間不信社会だ。
犯罪は今後も必ず繰り返すが、それだからといって無関係な人様までが、通報という心ない冷静さに欠く人のとばっちりは迷惑な話である。

昔と時代は違うというが、昔だからこそ今にも貢献できる対策もあるはずだ。
たとえば、風呂場のぞきは学生に限らず男ならほぼ一度くらいは行ったはずだ(但し、今の時代では難しい)。この程度であれば昔はまず、通報され捕まった話はまず聞いたことがない。こんなことで逮捕されては、監獄が満杯になり、よけいな税金が使われるのである。この場合、注意喚起のみで赦されるべきだろう。
ちなみに、性的事例を挙げたが、それ以外でも言えること。

実害のない罪は逮捕しないことが大切であろう。このような迷惑は大目に見るべきであって、通報した人間も、自分には一切の罪がないといえるだろうか。少しEQ的なものがほしい。過剰通報・過剰逮捕は今後、我が国で、誰もが一度は見舞われる日も間違いなく来ると思う。そうすると逆効果が発生する。

万人が免役化し開き直り、逮捕歴当然になるため、容易に犯罪に手を出してしまうだろう。
逮捕は人間として当たり前なのだから。結局、犯罪防止とは何かという疑問が生まれる。これを防ぐには、よほど(実害)の犯罪でない限り逮捕しないのが一番だ。すると、滅多にない逮捕が、恐怖に感じ、自制する気持ちが生まれるものなのだ。

前例では見逃しか和解が一番だが、むしろ、過剰逮捕犠牲者のために、皆さんが署名活動、デモや、警察並びに、過剰通報者を告訴した方が良いくらいで、それは今後皆さんのためになるのだから。

息の詰まる狭苦しい世の中になったことは強い嘆きだ。
 
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<余談項目 言論の自由として
 
※弁護士とは
 
 弁護士への疑問ですが、弁護する相手を当然調査しており、いかにも犯人ということは当然わかりようですが、なのに真犯人の弁護を引き受けるケースは多いとききます(世間では公表しません)。暗黙の了解で当然のようにそれがまかり通っているのです。異常事態といえますね。一応一部の弁護士と言っておきましょう。
アメリカでもスポーツ選手の有名な事件がありますが、敢えて言いません。
 
 弁護士が依頼者を犯人だとは思えないという虚偽設定で通しているだけです。しかし、はっきり言ってそれは共謀罪ですから!共謀者も逮捕されてしかるべきでしょう。
犯人と調査で知った時点で、弁護は断るべき。当然のようですが、えん罪の可能性がある人(及び、裁判知識のない人への指導)が弁護をされる権利があるのです。商売云々の問題じゃなく、世の中の正義として、確定犯罪者は擁護してはならないんです。あくまでも、逮捕して償わせるべきです。
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※これは言いたい不公平裁判!

 ニュースとかでよくある例に、長年にわたって自分を虐めていた相手をついには殺してしまったなどですが、そこでおかしなことが繰り返されるのです。

虐められた殺人者は、逮捕され裁きを当然受けるが、虐めたが殺されてしまった相手は何も裁かれないという不本意。これは絶対に変でしょう。

 殺人といえど、殺人者にまでさせるにいたった虐めという悪意。決して虐められた人間は殺人鬼ではなかったのに、哀れな殺人者という犠牲者にまで追い詰められ、苦しみ悶えたろう犯人。その諸悪の根源でもあった虐めの人間を裁かなければいけないはず。殺人犯も家族に償い、そして、虐め加害者の親御が、虐めの被害者(殺人犯)にも必ず償うべきです。
 
 しかし、現実は、殺人者だけが ”悪” で完了すること。
ある本に、“殺人以上の罪がある”『幸福に別れを告げよ (1977年) | 加藤 諦三』と言葉がありますが、それを思い出されますしその通りだと思います。現法を以上に改変するべきでしょう。
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※虐め
 
 虐めは悪です。それでも人間は虐めをやめません。それには原因が様々あり、一言でいえば弱い愚かな生き物だからです。もちろん、私を含め全員です。聖書にも"  義人はいない。ひとりもいない ” といわれています。

 虐めるその一つに、一人の人間がいつまでも自分たちを不愉快にさせる何かがあること。知能も正常であるため注意して治ればいいが、それがわからないのかいつまでも繰り返すといったことなどです。そうすると受ける側周りはたまらなく我慢ならなくなるわけです。ついには懲らしめようと暴力嫌がらせに走るという具合なのです。

虐められる側も実は他人に不愉快な思いを繰り返していた。虐める側も実は辛い目にあっていたわけです。虐められる当人に直す意思があるないではなく、直さなければいけない責任があったがそれを怠った。すでに悪意があるといえます。
 両者はどちらも罪ではないでしょうか。社会で生きる以上、周りと気遣い人の痛みを自分の痛みと分かち合わないとなりません。それができないなら一人山にこもるなど一匹で生き抜かなければいけないと誇張して言わなければなりません。これが現実なのです。

 許されない虐めとは、快楽の虐めです。八つ当たりもそう自分より弱いから優位に立とうと虐げること。間違いなく虐めるほうが悪い。前者とは違って情状酌量の余地がない虐め側の悪質な罪です。刑事罰が妥当です。
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※死刑について


 死刑反対派が多く、日本では今後も死刑は減退し期待できないと思います。
そこで、切断刑(腕などで生命は維持)を取り入れるべきです。死刑は憲法第36条に逆行するのは間違い有りません。切断系もそうかもしれないが、抑止力も考慮すれば必要な刑でしょう。


 死刑では難点もあり甘いともいえます。死刑では改心の気持ちさえ奪ってしまいますが、切断刑は生涯、罪の重さと後悔を植え付けることのできる唯一の刑です。犯罪行動を極めて失う効果があります。そして、生きながら自を追い詰めるぐらいの刑こそ重罪には意味をもつ刑だと思います。遺族感情にも応えられると思えるし死刑廃止論にも応える刑だと思います。


聖書では、

『 もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である 』

この言葉を手本にしました。その通りだと感じます。世界のベストセラーであるように、真理を見つけることができると思います。死刑では甘いのでしょう、犯罪を犯す“そのもの”を切り落とすべきです。切断刑こそが強力な犯罪抑止力だと思います。そして、重罪者が受けるべき償いだと思うのです。

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※借用詐欺

 

小学校教諭、コンビニで180円のクレープ万引き…自ら校長に申し出る(読売新聞オンライン)とYahoo!ニュースがあった。


盗みはほかにもあり、"1円借りても返すのがルール" "1円盗んでも泥棒"だ。悪質そのものが人からお金借りても、一行に返さない奴ばかりが目立つよね。

  詐欺罪>【 はじめから返す意思も能力もなく、騙取のつもりで借りる場合に詐欺罪(1項詐欺罪)が成立します 】

だが一切制裁は下らないことが多い。むしろ、債務者が大きな態度を取る始末だ。借りて踏み倒した者勝ちの社会。これでまかり通る社会は異常だ。大の大人が子供には道徳を教えるが、大人のしてることは、ルール違反ばかり。子供に見せられない恥ずかしいことだ。

 これは民事だからと相手も軽く見てるのだろう。しかし現在では、場合によって刑事で取り扱われることもあるのだ。そもそも民事刑事の問題ではなく悪事を必ず裁くべき。

 

この現状をリセットし、人様に迷惑をかけないことが社会の鉄則だ。そこで、少額でも人様から借りる場合、いちいち役所などの機関手続きなどを科すこと。手続き無視で借りると罰則を科せる。借りたら期限までに返さなければ罰すること。法律を"盗人である“借用詐欺"の輩に厳しくしなければならないと思うし結構これ、重要だと思う。

 

ちゃんと今では破産宣告できるし、生活保護がもらえるのだから。破産してるくせに女々しく現状維持しようと、一般人を巻き込み都合の良い財布にするなど、そんなわがままで人に迷惑をかけないことだ!

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異常な情欲による堕落

 

 アダルトビデオ

AVが性犯罪の誘惑をしてるのは間違いない。あまりに不適切な行為のシーンが過剰に盛りすぎ利益主義に社会影響を蔑ろにしている。これが公然わいせつ物頒布罪でなくてなんだろうか?素人勧誘で酷い社会問題も起こしてる。数々の犯行証言に、AVを模範にしたと言われ、AVは逆効果であって規制を厳しくするべきだと思う。

 

健全なシーン以外必要なわけが無いと思うのだ。それに比べ、風俗は性犯罪抑止に貢献してるのは確かだろうし、私は風俗を支持。 世界ではネットでも子供が見放題であり、健全な育成などAV業界にとっては上の空だ。

 

聞いた話AV業界では、自分の娘を出演させるのを避けてるのが暗黙で卑怯。 環境が人を作るという。間違いなくAVは社会秩序を根底から乱している。綺麗なシーンのみがAVに代わるべきだと思うし、AV業界が廃止になっても社会としてはマイナスにはならないと信じてる。

 

 

今からの意見はあくまでも個人のうっ憤であり、想像話を掲げたにすぎませんのであしからずです(汗)。


 ニュースでは毎日のように、性犯罪ばかりでうんざり引いてしまう私たちだと思います。

 社会が対策することは結局のところ、法律を厳しくするだけで終わるわけです。それでは、本能をがんじがらめにするだけで、欲求不満が爆発する場合もあるということ。欲望を封じる解決にはならないのです。

  現代遺伝子技術で、性欲をなくすウイルスを誰かつくるべきだといわざるを得ないですね(ヒント>性欲中枢「視床下部」のテストステロンというホルモンを作る根幹を狙ってほしいですね)。

これが開発できたら性犯罪者への刑罰としても利用できます。性欲に疎まされてる人への貢献にもなります。これは正義のためと言いたくなります…。

ただし、このウイルスは一歩誤れば人類が滅亡するかもしれませんね(恐怖もなく苦しまない方法になるでしょう)?

 

人間特有である年中情欲に対抗するには、これほどの対策しかないんではと思いますね。秘密裏に誰かが作成することを期待もする(ブラックジョーク)。
"夢は現実になるかもしれません!?"

 

小説『 性欲撲滅ウイルス』緋維坊

 

人のための公園

「公園とは、休息、鑑賞、散歩、遊戯、その他のレクリエーションのように供する目的で設置されるもの」と公園法に明記されてある。

 公園など、人の集まる広場では、人に危害を及ぼすことが明らかな球技類は禁止していますが当然でしょう。一般人を巻き込まないようたとえば、球技専用の広場を設けることが最適であるし、学校の広場などを休日に提供する方法を考えるべきでしょう。公園の禁止にはほかにも、火気厳禁、宿泊、炊事、車両進入などがあります。


 つまりは、長い時間の私用や、危険と分かるものです。ただ、行き過ぎの禁止事項はいかがな物かと疑問さえ感じます。たとえば、食事や一般的な会話などです。マイク、メガホンで騒音しているわけではありません。上記公園法に反しなければいいはずです。


 ここからは市民など、国に訴えて良い事項ですが、たとえば柔らかい物質で作られる球で、速度が比較的に危害に及ばない物なら心配はほぼなく、こういうものであれば禁止はおかしいため、行事を認めるよう要望するべきでしょう。たとえばビーチボールです。


 ※ここからは子供から大人までがよく遊ばれる問題なので詳しく述べます。

 広場では凧揚げをする人も多いです。著しく危害を与えかねない物でない以上、凧揚げやバルーン、パラシュートなど、比較的安全なおもちゃ類は空中に揚げても問題にならないはずです。むしろ、これらは”広場で遊ぶための物”という認識を敢えて公園管理は持つべきです。 

そのため禁止してはいけないし禁止ではないはずです。もし、これらを木に引っかかるからやめろというのもおかしなことで、注意してはいけないし水を差す言葉となるばかりで良い効果は得られないでしょう。

詫びたとしても管理人を図にのせることにもなる(利用者を見下す管理者が現状多い)

※実際の管理者発言例として、「どこの人?(プライバシー介入) 迷惑だ、二度と飛ばすな あなたはこの公園に来ないでくれ」などと注意されるでしょう。これは暴言であり管理者にいわれる筋合いではありません。どうして人の楽しみを奪う言葉を吐くのか。その管理者は個人の感情で市民の権利を無視していることが分かるはずですね。このような発言は人権侵害。あってはならない発言ですが実際には多いのです。公園を快適に利用する上で管理者を改善するべき問題です。


仕事が増えるからという理由で禁止してはいけない


 故意で木に引っかけたのはなく出来るだけの努力で引っか掛かったおもちゃ類を取り戻したしくも困難なため諦めるわけで、その気持ちは認めなければいけません。

 遊戯する人が無理に回収する必要はありません
取る素人に危険が及びますし、木を折ってしまう可能性もあります。このことから、管理業者が定期的に引っかかったおもちゃ類を取るのは仕事なのです。


 公園というのは市民税など、税金による広場なのです。税金を私たちは支払い、引っかかった物を回収するのも管理業務の一部であるから、その代金は既に支払い済みなのだから。



 公園での禁止事項を設けるためには、近年多い、行き過ぎた禁止事項乱用を防止するため、近隣住民による少数派一部の意見ではなく、全国民の多数決が最適でしょう。
それには上記に述べたように、皆さんがよく楽しまれている危険とは言わない遊び類などを積極的に許可することが国民の希望なのです。