試履(着)き専用ストックは商機の可能性

疑問に思った人はいるのでは?

高い靴を買う場合


 安物の靴に関しては問題ないと思いますが、5,000円以上もする靴を買う場合、
人が試着したものの販売は他人の汗や臭いが付着してる心配があるものです。

 なにより、履き皺(シワ)がつくのです。
 これは既にアウトレット品だと感じます。みなさんもきっと腑に落ちなかったと思いますし、
そんな物を買うのが損だと思われませんか?




改善方法
 
販売店がそれぞれの靴のサイズを試履き用で揃える。

すると、試履き皺のついた靴を買うことはなくなります。
考えれば新品の封を開けてはいけないことが原則と考えれば、良い品物の常識だと
思います。

また、ストックは雑に保管できるため、
わざわざ新品商品の箱と包みをめくる また仕舞う手間も省けます。


洋服でも高級な場合、試着によってはシワもできますが、人の汗においが付着
することだってあります。同じく試着専用ストックにするべきだと思います。

在庫抱えの問題ですが、試(履き)着専用だからその各サイズ一つだけストックするだけでよいんです。
その試着専用ストックは、後に店がアウトレット商品として売ることができ
在庫を抱えることはないのです。

靴にとどまらず、客商売を発展向上する上で是非上記アイデアを取り入れて欲しいのです。

※余談>


 ちなみに、試履き皺のつく箇所は、バンプ(甲)です。ここに皺がある場合、
間違いなく試履きしたことになります。

 たとえば、「天然皮革品のため多少、皺がある場合もございます」とは、バンプに関しては違うと思いましょう。製造で甲への皺はつかないはずです。

 細かいですが、レース(紐)が全て(途中もあり)結ばれてる物は、撮影のためや、試履き

のためです。
新品はまず、出荷の都合上、下鳩目だけしか通していないものです(傷、皺がなければ気にすることでもないですが)。

過剰通報・過剰逮捕は人権蹂躙

現我が国は、外国に近ずく犯罪国になっているのは確かだ。それには、
映像にインターネットなどの媒体が強い影響であり、
日本に来る外国人の影響が少なからず犯罪の要因でもあるようだ。

それに伴って悪い副産物といえるのが、過剰通報過剰逮捕である。
新たな社会問題であるだろう。
それは、赦し合う気持ちを失った他人事精神である。

'14/10/11の新聞に、少女のスカート内をのぞいた公務員の男が逮捕されたのだ。過ちはそのとき一度の目撃である。これを読み愕然とした。逮捕された男が不憫だと思った。通りがかりである通報女性にも強い不信感を覚えた。人の人生を考慮し、些細な過ちを許す気持ちは持てなかったか。この事件に限らず、些細な迷惑までもが、通報される始末。

悪いことには違いないが、必ずしも逮捕されるまでのことではないはずだ。
重罪事件が起きれば、たったの一例であってもマスメディアの全国区な影響でいつものように人は神経過敏になる。
何も悪くない人が少数犯罪者のために、周りの私たちに過剰な通報や逮捕の被害者となっている事実。

人は例外なく弱く罪人なのだから、過剰に監視カメラや過剰な疑いで目を向けるのはあまりに行く過ぎた人間不信社会だ。
犯罪は今後も必ず繰り返すが、それだからといって無関係な人様までが、通報という心ない冷静さに欠く人のとばっちりは迷惑な話である。

昔と時代は違うというが、昔だからこそ今にも貢献できる対策もあるはずだ。
たとえば、風呂場のぞきは学生に限らず男ならほぼ一度くらいは行ったはずだ(但し、今の時代では難しい)。この程度であれば昔はまず、通報され捕まった話はまず聞いたことがない。こんなことで逮捕されては、監獄が満杯になり、よけいな税金が使われるのである。この場合、注意喚起のみで赦されるべきだろう。
ちなみに、性的事例を挙げたが、それ以外でも言えること。

実害のない罪は逮捕しないことが大切であろう。このような迷惑は大目に見るべきであって、通報した人間も、自分には一切の罪がないといえるだろうか。少しEQ的なものがほしい。過剰通報・過剰逮捕は今後、我が国で、誰もが一度は見舞われる日も間違いなく来ると思う。そうすると逆効果が発生する。

万人が免役化し開き直り、逮捕歴当然になるため、容易に犯罪に手を出してしまうだろう。
逮捕は人間として当たり前なのだから。結局、犯罪防止とは何かという疑問が生まれる。これを防ぐには、よほど(実害)の犯罪でない限り逮捕しないのが一番だ。すると、滅多にない逮捕が、恐怖に感じ、自制する気持ちが生まれるものなのだ。

前例では見逃しか和解が一番だが、むしろ、過剰逮捕犠牲者のために、皆さんが署名活動、デモや、警察並びに、過剰通報者を告訴した方が良いくらいで、それは今後皆さんのためになるのだから。

息の詰まる狭苦しい世の中になったことは強い嘆きだ。
 
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余談>言論の自由として
 
 弁護士への疑問ですが、弁護する相手を当然調査しており、いかにも犯人ということは当然わかりようですが、なのに真犯人の弁護を引き受けるケースは多いとききます(世間では公表しません)。暗黙の了解で当然のようにそれがまかり通っているのです。異常事態といえますね。一応一部の弁護士と言っておきましょう。
アメリカでもスポーツ選手の有名な事件がありますが、敢えて言いません。
 
 弁護士が依頼者を犯人だとは思えないという虚偽設定で通しているだけです。しかし、はっきり言ってそれは共謀罪ですから!共謀者も逮捕されてしかるべきでしょう。
犯人と調査で知った時点で、弁護は断るべき。当然のようですが、えん罪の可能性がある人が弁護をされる権利があるのです。商売云々の問題じゃなく、世の中の正義として、確定犯罪者は擁護してはならないんです。あくまでも、逮捕して償わせるべきです。
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余談>これは言いたい不公平裁判!

 ニュースとかでよくある例に、長年にわたって自分を虐めていた相手をついには殺してしまったなどですが、そこでおかしなことが繰り返されるのです。

虐められた殺人者は、逮捕され裁きを当然受けるが、虐めたが殺されてしまった相手は何も裁かれないという不本意。これは絶対に変でしょう。

 殺人といえど、殺人者にまでさせるにいたった虐めという悪意。決して虐められた人間は殺人鬼ではなかったのに、哀れな殺人者という犠牲者にまで追い詰められ、苦しみ悶えたろう犯人。その諸悪の根源でもあった虐めの人間を裁かなければいけないはず。殺人犯も家族に償い、そして、虐め加害者の親御が、虐め被害の被害者(殺人犯)にも必ず償うべきです。
 
 しかし、現実は、殺人者だけが ”悪” で完了すること。
ある本に、“殺人以上の行為(悪意)がある”『幸福に別れを告げよ (1977年) | 加藤 諦三』と言葉がありますが、それを思い出されますしその通りだと思います。現法を以上に改変するべきでしょう。
 
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死刑について>


 死刑反対派が多く、死刑は憲法第36条に逆行するのは間違い有りません。日本では今後も死刑は減退し期待できないと思います。
そこで、切断刑を取り入れるべきです。


 死刑では難点もあり甘いともいえます。死刑では改心の気持ちさえ奪ってしまいますが、切断刑は生涯、罪の重さと後悔を植え付けることのできる唯一の刑です。死刑廃止論にも応える刑だと思います。


聖書では、

『 もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である 』

この言葉を手本にしました。その通りだと感じます。世界のベストセラーであるように、真理を見つけることができると思います。死刑では甘いのでしょう、犯罪を犯す“そのもの”を切り落とすべきです。切断刑こそが強力な犯罪抑止効果だと思います。そして、重罪者が受けるべき償いだと思うのです。

人のための公園

「公園とは、休息、鑑賞、散歩、遊戯、その他のレクリエーションのように供する目的で設置されるもの」と公園法に明記されてある。

 公園など、人の集まる広場では、人に危害を及ぼすことが明らかな球技類は禁止していますが当然でしょう。一般人を巻き込まないようたとえば、球技専用の広場を設けることが最適であるし、学校の広場などを休日に提供する方法を考えるべきでしょう。公園の禁止にはほかにも、火気厳禁、宿泊、炊事、車両進入などがあります。


 つまりは、長い時間の私用や、危険と分かるものです。ただ、行き過ぎの禁止事項はいかがな物かと疑問さえ感じます。たとえば、食事や一般的な会話などです。マイク、メガホンで騒音しているわけではありません。上記公園法に反しなければいいはずです。


 ここからは市民など、国に訴えて良い事項ですが、たとえば柔らかい物質で作られる球で、速度が比較的に危害に及ばない物なら心配はほぼなく、こういうものであれば禁止はおかしいため、行事を認めるよう要望するべきでしょう。たとえばビーチボールです。


 ※ここからは子供から大人までがよく遊ばれる問題なので詳しく述べます。

 広場では凧揚げをする人も多いです。著しく危害を与えかねない物でない以上、凧揚げやバルーン、パラシュートなど、比較的安全なおもちゃ類は空中に揚げても問題にならないはずです。むしろ、これらは”広場で遊ぶための物”という認識を敢えて公園管理は持つべきです。 

そのため禁止してはいけないし禁止ではないはずです。もし、これらを木に引っかかるからやめろというのもおかしなことで、注意してはいけないし水を差す言葉となるばかりで良い効果は得られないでしょう。

詫びたとしても管理人を図にのせることにもなる(利用者を見下す管理者が現状多い)

※実際の管理者発言例として、「どこの人?(プライバシー介入) 迷惑だ、二度と飛ばすな あなたはこの公園に来ないでくれ」などと注意されるでしょう。これは暴言であり管理者にいわれる筋合いではありません。どうして人の楽しみを奪う言葉を吐くのか。その管理者は個人の感情で市民の権利を無視していることが分かるはずですね。このような発言は人権侵害。あってはならない発言ですが実際には多いのです。公園を快適に利用する上で管理者を改善するべき問題です。


仕事が増えるからという理由で禁止してはいけない


 故意で木に引っかけたのはなく出来るだけの努力で引っか掛かったおもちゃ類を取り戻したしくも困難なため諦めるわけで、その気持ちは認めなければいけません。

 遊戯する人が無理に回収する必要はありません
取る素人に危険が及びますし、木を折ってしまう可能性もあります。このことから、管理業者が定期的に引っかかったおもちゃ類を取るのは仕事なのです。


 公園というのは市民税など、税金による広場なのです。税金を私たちは支払い、引っかかった物を回収するのも管理業務の一部であるから、その代金は既に支払い済みなのだから。



 公園での禁止事項を設けるためには、近年多い、行き過ぎた禁止事項乱用を防止するため、近隣住民による少数派一部の意見ではなく、全国民の多数決が最適でしょう。
それには上記に述べたように、皆さんがよく楽しまれている危険とは言わない遊び類などを積極的に許可することが国民の希望なのです。